日本学術振興会科学研究費補助金基盤B(海外学術)

ボルネオ島泥炭掘削:過去4000年間の熱気対流活動の復元

平成27年度から平成29年度まで

 

代表者:北海道大学大学院地球環境科学研究院 准教授 山本正伸

分担者:関宰(北大低温研),林竜馬(琵琶湖博物館)

協力者:Lulie Melling(サラワク熱帯泥炭研究所 TPRI),Hasrizal bin Shaari(マレーシアトレンガヌ大学),Abdulah Sulaimanマレーシア鉱物地質局 JMG

 

1.研究開始当初の背景

 完新世(過去11700年間)の10年〜1000年スケール気候変動は人間社会との関わりが深く,その実態の解明が急がれている(IPCC第五次評価報告書,2014など).完新世において時間および空間スケールの異なる様々な気候変動が存在することが明らかになってきた.しかし,高い時間解像度を持つ古気候記録は依然として少数であり,変動の規則性,原因,伝搬過程に関する理解はいまだ不十分である(Wanner et al., 2008, Quat. Sci. Rev.など).この気候変動の実態を解明するために,高い時間解像度を持つ古気候記録を取得して行くことが極めて重要である.

 ボルネオ島付近は地球上で海水温が最も高く,大気対流活動が活発な地域にあたる.この地域における対流活動はエネルギーを中高緯度へと伝搬する役割を果たしており,その復元は全球気候変動の機構の理解につながる.対流中心の位置は,通常時ではボルネオ島付近にあるが,エルニーニョ時には熱帯太平洋中央部に移動する.熱帯域では対流活動が活発で降水量が多いとき,降水の酸素同位体比は低くなる(Araguas-Araguas et al., 1998, J. Geophys. Res., 103, 28721; Welp et al., 2011, Nature, 477, 579など).したがって,ボルネオ島で降水同位体比を復元することにより,過去の大気対流活動とエルニーニョ南方振動(ENSO)の変動を理解することが期待される.

 ボルネオ島から採取された石筍の酸素同位体比から,最終氷期以降の降水酸素同位体比が復元された(Partin et al., 2007, Nature, 449, 452).しかし,時間解像度は高くなく,10100年スケール気候変動との関係を検討するには不十分であった.代表者らは,平成25-26年度挑戦的萌芽研究において,降水で涵養されている高位泥炭地の泥炭中ミズゴケのセルロース酸素同位体比が降水酸素同位体比を反映しており,他方,植物片とミズゴケのセルロース酸素同位体比が相対湿度を反映していることを確認した.泥炭は堆積速度が速く,年代測定も容易であり,高時間解像度気候復元に向いている.ボルネオ島には高位泥炭地に泥炭が厚く発達している.そこから泥炭コアを採取し,セルロース酸素同位体比を測定すれば,過去の西部太平洋熱帯域の大気対流活動を復元することができると考えた.また,微粒炭量を分析し,乾湿変動を復元し,大気対流活動変動と対比することにより,太平洋規模の大気循環と西部太平洋の気候との関係が検討できると考えた.

 

2.研究の目的

本研究では,ボルネオ島において泥炭コアを採取し,そのセルロースの酸素同位体比を分析することにより,完新世後半の降水酸素同位体比の高時間解像度復元を行い,大気対流活動の長期的変動の復元を試みた.さらに微粒炭量を分析することにより,乾湿変動を復元した.

 

3.研究の方法

  マレーシア国サラワク州のバラム川流域に分布する泥炭ドームの頂上の2地点(マルディー地点,ティンバラ地点),ローガンブヌート国立公園内の2地点,マルダム国立公園内の泥炭ドーム頂上(マルダム地点),シブ泥炭地のドーム頂上(シブ地点)において10mを超える長さの泥炭コアを採取した.各泥炭コアは採取後ただちに5cmあるいは10cm間隔でサブサンプリングし,ビニール袋に入れ,北海道大学に輸送した.

コア採取に際しては,マレーシア鉱物地球科学局サラワク支所およびサラワク熱帯泥炭研究所の全面的支援を受けた.所員,人夫,機材,四輪駆動車の提供を受けた.

 採取したコアについて記載,含水率の測定を行い,放射性炭素年代を測定し,微粒炭量とセルロース酸素同位体比を計測した.

 

4.研究成果

ティンバラおよびマルダム地域から採取した泥炭コアについて過去6000年間の微粒炭量の変動を明らかにした.微粒炭量は460 km離れた2地点で似た変動を示し,広域的な環境変動を反映していると考えられる.その変動は,有意な560年周期変動を示した.4000年前から1000年前の期間では,微粒炭量変動は太陽放射量変動と同調し,エクアドルの洪水層頻度の変動とも対応していた.太陽放射量変動が高く,エルニーニョの頻度が高いとき,乾燥化に伴い,野火が頻繁に発生し,微粒炭が多く生産されたと考えられる,1000年前以降と4000年前以前は,逆に,太陽放射量変動が低く,エルニーニョの頻度が低いとき,微粒炭量が多く,ボルネオを乾燥していたことが示された.ボルネオの乾湿変動は太陽放射量変動に応答しているが,対応関係が千年スケールで逆転することが明らかになった.

マルダム地域,マルディー地域,ティンバラ地域の泥炭コアから植物片を形態にもとづき分類,仕分けし,それぞれのセルロース酸素同位体比を測定した.同一試料中の植物片の酸素同位体比は多様であり,植物の部位により酸素同位体比が大きく異なることが分かった.また,酸素同位体比と微粒炭量の間に恒常的な関係はみられなかった.当初は,酸素同位体比組成の結果にもとづき,ボルネオの乾湿を変動させている大気循環を明らかにするつもりであったが,結果は複雑であり,単純な解釈が難しいことが分かった.

ローガンブヌート地域とシブ地域において泥炭コアの微粒炭量は分析中であり,結果が出た時点でマルダム地域,マルディー地域,ティンバラ地域での知見と総合し,ボルネオの乾湿変動とその気候強制に関する論文を執筆する予定である.

 

主な発表論文等

〔雑誌論文〕(計1件)

①山本正伸2017)ボルネオでの泥炭コアリング.PALEO, 5, 1-13.査読無

 

〔学会発表〕(計4件)

Yamamoto, M., Kikuchi, T., Sakurai, H., Hayashi, R., Seki, O., Omori, T., Sulaiman, A., Shaari, H., Melling, L. (2017) Multi-centennial variability of western tropical Pacific hydrology during the last 6000 years based on charcoal records from Borneo. IODP-PAGES Workshop on Global Monsoon in Long-term Records, Shanghai, 20170909,口頭

 

②山本 正伸・菊池 隼史・櫻井 弘道・林 竜馬・関 宰・大森 貴之・アブドラ スライマン・ハスリザル ビンシャリ・ルリー メリング(2017)ボルネオ泥炭中微粒炭量からみた過去6000年間の西部熱帯太平洋乾湿変動.地球惑星科学連合2017年大会,千葉, 20170523,口頭

 

③菊池隼史・山本正伸関宰林竜馬・アブドラ スライマン・ハスリザル ビン シャリ・ルリー メリング(2016)ボルネオ島泥炭分析による過去4000 年間の古環境復元.第2回地球環境史学会年会,東京, 20161126,口頭

 

Yamamoto, M., Seki, O.,  Kikuchi, T., Hayashi, R., Abdullah Sulaiman, A., Shaari, H., Melling, L. (2016) Cellulose oxygen isotopes of peat as a tool of paleoclimate reconstruction. 15th International Peat Congress, Kuching 20160817,ポスター

 

 

研究の経緯(物語風)

 

ボルネオは日本の南方にある南シナ海,ジャワ海,セレベス海,スル海に囲まれた世界第三位の面積を持つ巨大な島である.このボルネオは地球の気候を考えるうえで極めて重要な場所に位置している.ボルネオを中心とする西部熱帯太平洋とインド洋東部は地球表層でもっとも暖かい地域であり,インド太平洋暖水塊地域と呼ばれる(左図).太平洋の赤道付近を東から西へと吹く貿易風が暖められた海水を太平洋の西側に掃き寄せるため,太平洋の西縁には水温が28度を超える暖かな水が分厚く蓄積される.これが大気を暖める熱源となり,水蒸気を多く含む空気塊が暖められ上昇する.上昇した空気塊は高度10 kmを超える高さまで上昇し,東西南北に移流し,遠く離れたどこかで冷やされ沈降し,再び地表付近に戻る.ボルネオはこの対流と呼ばれる空気の流れにおいて,暖かな空気が上昇する場所の中心に位置している.空気が上昇し,冷却すると水蒸気が凝縮し液体の水が形成され,雨粒となって地表に降り注ぐ.ボルネオ付近は,この作用が特に活発なので,世界でもっとも雨の多い地域となっている.

 歴史時代の気候変動をみてみると,世界の離れた地域で同調した変動を示すことが多い.熱帯域の対流活動が活発なときには,低緯度から高緯度への大気経由の熱輸送が活発化し,地球全体の気候に影響を及ぼしているのではなかろうか.パーティンらは,ボルネオ北部の鍾乳洞の中から鍾乳石を採取し,その酸素同位体比から対流活動が過去3万年間に大きく変化したことを示した(Partin et al., 2007).ボルネオの大気対流活動は1万年スケールで長期的に変化してきているらしい.では,もう少し短い時間スケールではどうなのか.たとえば,現在よりも気温が低かったとされる200-700年前の小氷期ではどうか,また今と同様に温暖であったとされる1000年前の中世温暖期ではどうだったのか知りたい.人類が今直面している温暖化は,まさにこの時間スケールでの変化であるので,この疑問に答えることは重要である.これを明らかにするには,鍾乳石以外の方法で調べてみる必要がある.

 ボルネオ研究に先立って,私たちは利尻島南浜湿原から採取した泥炭試料の研究を行い,過去の気候変動を復元することに成功した.ボルネオの泥炭を用いることにより,熱帯の大気対流活動を復元できるに違いないと考えた.さて,このようなテーマで日本学術振興会の科学研究費基盤研究B海外学術調査に応募したところ,2015年春に採択の通知が届いた.私の研究室の卒業生がマレーシアのトレンガヌ大学で上級講師として働いているので,彼に連絡し,マレーシア政府への調査許可手続きを進めるとともに,準備を開始した.

IMG_0543.jpg札幌からボルネオまでは遠い.成田空港経由でクアランルンプール空港へ飛び,そこで国内線に乗り換える.サンゴ礁の点在する南シナ海を越え,深緑の密林の中に大蛇がうねるような茶色の水の流れが見えたならばクチンに到着だ. 19世紀・20世紀前半のサラワク王国の首都であり,現在もサラワク州の州都として栄えている町である.市街の中央をサラワク川が流れ,下町から川越しに望む州議会議事堂の金色のとんがり屋根が印象的な風情のある町である(左写真).

2015年夏に初めてのボルネオ渡航.クチンにあるマレーシア鉱物地質局(JMG)とサラワク政府首相府直轄の熱帯泥炭研究施設(TPRL)を訪問,調査研究の協力を得られることになった.

2015年秋の調査では,日本から4名,JMGTPRLスタッフ,さらに現地で4名を雇用し,計16名でサラワク北部のバラム川左岸の泥炭地で泥炭のコア(柱状試料)を採取した泥炭の採取によく使われるのはロシア式ピートサンプラーと呼ばれるものである.この年の調査では,このサンプラーに加えて,シンウオールコアラーを持参し,用いた(左写真).この手法は泥炭内の構造を乱さない.泥炭コア中で炭が層状に入っていることや,葭の根茎が地中に伸びている姿を認識できたのは,この手法のおかげである.

IMG_1356 (1).jpg バラム川の南西岸には,かつてサラワク最大の泥炭地が広がっていた.その大きさは南北に40 km,東西に20 kmにわたるもので,ドーム条の地形を示す高層湿原であった.現在では,この広大な土地の大部分はヤシ畑となっている.この泥炭地に関しては20年前にTPRLのワン博士により植生の調査が行われている.我々は,その植生図を参考に,ドーム中央部の植生がみられたドームの2ヶ所で,合計5日かけて,9メートルの長さの泥炭コアを採取した.泥炭は植物起源の有機物を多く含む堆積物の総称であるが,試料を採取してみて,ボルネオの泥炭が利尻の泥炭とはずいぶん異なることに気がついた.利尻の泥炭はミズゴケが主体で,それに細い根や草本類の茎や葉が混じっている.ボルネオの泥炭はほとんど植物の太い根茎(こんけい)や細い根,根や茎の表皮,樹木の葉が破片化したものでできていて,コケはみられない.ひとくちに泥炭といっても,素材の違いを重視するならば別物と考えたほうが良さそうである.

コアはコアリング地点において肉眼で記載し,はさみを用いて試料を切り,スプーンを使って台所用ビニール袋に小分けした.コアの分割に用いた道具はすべて現地の雑貨屋で購入した.これは往路において航空会社に預けた荷物が紛失し,ついに出て来なかったためである.

 20168月はサラワク南部のマルダム泥炭地で泥炭コアを採取した.日本から2名,TPRLから若手6名が参加した.リンガの船着き場で漁船を2隻チャーターし,4人ずつに分かれて乗り込んだ.マルダムの海岸まで約30分.マルダム側の船着き場には桟橋はない.岸に船を近づけ,泥の中を裸足で歩いて上陸する.そこから小屋まで4 kmを約1時間かけて歩く.小屋に着くのは夕方になる.水たまりの腐植を含む焦げ茶色の水で体を洗い,夕食を作り,食べる.小屋は鉄骨高床式であり,外壁の下半部は鉄板で覆われており,上半部は開放されている.そこから虫が入ってくるので,めいめいに蚊帳を吊って寝る.

 翌朝,掘削地点まで徒歩で移動する.目標地点は泥炭ドームの頂上である.マルダム泥炭地では海岸からドーム中央に向かい徐々に標高が高くなる.これは中央部では泥炭が堆積し,その分が高まりになっているためである.丸太の上を歩き,倒木を乗り越え,水たまりを腰までつかりながら歩く.目的地点まで標高差はほとんどないが,重い機材,食料,水,寝具を背中に担いで深さ数十cmの水たまりに頻繁に出入りするのは思いの外,体力を消耗する.6時間ほどで泥炭ドーム頂上の掘削地点に着いた.この場所には,現場の木で作った簡易宿泊所がある.ベッドの上に,毛布を敷き,蚊帳を吊れば寝床の出来上がりだ.水たまりの水を濾過し,沸かし,夕食を作り,食べる.汗をかき塩を消費したのか,塩味が体にしみるように旨い.

IMG_2702.jpg夕方はかすかに風が吹く.日中我々を痛めつけた太陽は急ぎ足で傾き,木々を金色に染める.虫除けの焚き火の煙があたりを漂う.ジャングルの夜は騒々しい.日本の秋の夜のように,虫の音が途切れずに続く.木々の合間から見る星は大振りで輝きが強い.天の川が力強く頭上をまたぎ,蠍座が天頂を飾る.南半球の星々が惜しげもなくその姿をさらしている.朝は急に訪れる.少し明るくなったかと思うと,鳥がさえずりはじめ,瞬く間に周囲は明るくなり,暑さと湿気を増してゆく.一日の始まりだ.

 コアリングはロシア式サンプラーを用いて行った.シンウオールコアラーは重すぎてコアリング地点まで人力で運べないと判断したためである.コアリングは順調に進み午前中には12 mまで掘削し,泥炭基底の泥に達した(左写真).6m深よりも深い層準で炭が頻繁に出現した.炭層の上には葭の根茎が多くみられた.野火のあとに葭を主体とする草地が広がった可能性が考えられた.午後にもコアを掘削し,作業を終了した.翌朝,小屋までの戻りは行きと同じであるが,背中にかついだ試料の重みがつらかったり,嬉しかったりした.

 このようなことをして採取した試料を段ボール箱につめて,札幌に送る.泥炭は土壌に分類されるので,植物検疫を通しての輸入という扱いになる.

 数百個にもなった試料の微粒炭の分析は,修士課程の菊池隼史君が行った.微炭粒とは野火のさいに不完全燃焼により燃え残った有機物の小さな粒子である.左写真の真ん中の黒い粒子が微粒炭である.泥炭の中に含まれる微炭粒の数を計測することにより,過去の野火の頻度を復元することができる.泥炭を一定の容積で量りとり,それに水酸化カリウム水溶液を加え,粒子を分散させる.その溶液を目の細かなフルイを通して,粒径をそろえたうえで,シャーレに移し,乾燥する.それを実体視顕微鏡で覗きながら,微粒炭粒子の数を数える.そうすると少ない試料では数個,多い試料では数百個の微炭粒が数えられる.

 泥炭の放射性炭素年代測定は,学部生の櫻井弘道君が行った.放射性炭素は生物の体内に取り込まれた後,壊変し,濃度が一定速度で減少して行く.その減少の割合を調べることにより年代を推定する方法である.この作業は,東京大学の研究室で,櫻井君が大森先生の指導を受けながら進めた(左写真).手順をひとつ間違えると試料が失われてしまうので,注意力が必要である.上野のホテルで,真夜中,ベッドのうえに座り,櫻井君が手順を何度も繰り返し,復習していたのを思い出す.この結果,ボルネオで採取したコアがいずれも過去6000年間をカバーしていることが明らかIMG_2935.jpgになった.

 さて,菊池君の計測した微粒炭量と櫻井君が計測した放射炭素年代測定の結果をあわせて,グラフを作ったときの驚きは忘れられない.460 km離れた2地点の微粒炭量はほとんど同じ変動をしており,およそ600年間隔でピークを示した(左図).現在のボルネオでは,年間降雨量が3 mを下回ると野火が発生する.我々のデータは,ボルネオでは600年ごとに降雨量が減少したことを意味している.さらに,アイスコアのベリリウム10濃度から推定された過去の太陽放射量変動(太陽の輝きの強さの変動)と比較したところ,1000年前から4000年前には,太陽の輝きが強いときに降雨量が減少していたのに対して,それ以外の時代では,逆に降雨量は増加していたことが分かった.ボルネオの降水量の変動の原因が太陽放射量変動であることは明らかになったが,対応関係が逆転するメカニズムについては今後の考察が必要である.さらに,ボルネオ微粒炭の変動は中国とインドの鍾乳石の酸素同位体比の変動と対応しており,ボルネオ付近で大気対流活動が活発な時期に,中国及びインドでは降水が多かったことが示された.降水が少ないとき,中国・インドでは王朝交代が起きており,地理的には無関係なボルネオ付近の大気対流活動が間接的に関係していることが示唆される.

 現在につながる過去の気候変動を知ることは,気候の現状を理解し,将来を予測するのに役立つ.IPCCのとりまとめにおいても古気候研究の成果が大きな比重を占めているのは,これによる.また過去の気候変化と人間社会の関係を調べることにより,将来起きうる人間社会への影響を予測し,対策するための基礎材料を得ることができる.後者の研究ははじまったばかりであるが,今後の古気候研究における重要課題である.