術領域究「作と中文明 作文明の新構築」

(代表:金学・中村授)公募研究

長鎖脂肪酸の同位体比を用いた完新世長江下流域の乾湿および植生動の復元

平成30年度から31年度まで

代表者:北海道大学大学院地球環境科学研究院 准教授 山本正伸

 

研究の学術的背景

 完新世(過去約1.2万年間)は最終氷期(12万年前〜約1.2万年前)と比較して温暖で安定した時代ではあるが,気温と降水量が10年〜1000年規模で変動したことが知られている(Wanner et al., 2011Quaternary Science Reviews, 30, 3109).このような気候変動が過去の人間社会にどのような影響を与えたのか理解することは,現在進行している全球的気候変化が人間社会に及ぼす影響がどのようなものであるか予測するために必要である(IPCC5次報告書など).中国長江下流域では,前期完新世(11700年前から8000年前)にイネの栽培化が行われ,中期完新世(8000年前から3500年前)において,イネの栽培の拡大とともに都市化が進み,国家形成が行われた.イネの収穫量は気象に左右されるので,長江下流域の気候と社会の関係は,過去の気候変動が人間社会に影響を与えた可能性を検討するうえで格好の研究対象である.

 

何をどこまで明らかにするのか

 イネの栽培が開始され,国家が形成される期間をカバーする約9000年前から4000年前までの長江下流域の乾湿変動を復元する.田螺山遺跡の近くで採取されたボーリングコア(9000-5000年前)と良渚遺跡の近くで採取されたハンドオーガー試料(5500-4000年前)の中に含まれる高等植物起源ワックス分子の水素同位体比を分析することにより9000年前から4000年前までの杭州湾周辺における乾湿変動を復元する.また,高等植物起源ワックス分子の炭素同位体比を分析することにより,植生に占めるC4植物の割合の変化を復元する.乾湿と植生の変動とプラントオパール量,遺跡の年代値等と比較することにより,気候変動がイネ栽培および社会に与えた影響を考察する.

 

新たな研究の創造が期待できる点

 本研究では,古気候学と有機地球化学の手法と知見を,考古学的手法により得られる稲作農耕の歴史を解釈するために活用する.これを可能にするには,両者の記録がともに連続的であり,比較可能であることが必須である.遺跡の出土物に関して多数の試料の年代測定が行われており,住居の変遷が連続的に復元されつつある.本研究において堆積物コアについても古環境の連続的変遷の記録が得られるならば,両者を同じ時間スケールで比較することが可能になり,古気候変動と稲作農耕の関係の検討を行うことができる.気候と文明史の関係を考察するための具体的手法を例示でき,新たな研究の創造につながることが期待できる.

 

学術的な特色,独創的な点

 田螺山遺跡における長鎖n-アルカンの水素同位体比についてはすでにPatalano et al. (2015 Geology, 43, 639)により報告があり,約7000年前と約6300年前の2回に水素同位体が高くなるイベントがあり,乾燥気候が短期間維持されたと解釈されている.しかし,その水素同位体が高くなる層準は堆積速度が極度に高く,洪水層に相当する疑いがある.洪水により,乾燥した高地から陸上高等植物起源の有機物がもたらされた可能性が否定できない.本研究では洪水層の存在に留意しつつ,コアの記載と試料採取を行い,慎重に解釈を進める.また,Patalanoの論文でカバーした年代は7000年前から4700年前であり,イネの栽培化が開始した時期をカバーしていない.本研究では,9000-7000年前を高い時間解像度で乾湿の復元を行い,同コアに含まれるイネのプラントオパール量の変化およびC3植物/C4植物比と比較し,イネの栽培化と気候変動の関係について初めて検討するものである.これらの間に関係性を明らかにすることで,なぜ稲作が前期完新世にこの場所で開始されたのかという文明史的問いかけにひとつの答えを提示することができる.