研究内容
概要
過去の水循環を復元しようとしたとき、分析対象や分析項目は多様でありうる。要するに試料が得られた地点(あるいはそこを含むある地域)にいつどれだけ雨が降ったのかを調べる方法になればそれで良い。時間とともに連続して積層あるいは成長したものならば、海や湖であれば底に堆積した泥を、浅海域であればサンゴを、森であれば樹木年輪を、山であれば鍾乳石を用いることができるであろう。
私は学生時代に研究を海洋堆積物を対象にして開始したので、今でも海洋堆積物を用いる傾向にある。海洋堆積物を使う私の考えるメリットは、一つの堆積物から海洋と陸の両方の情報を同時に取り出すことができることにある。海洋堆積物は、陸から風や河川の営力で運搬されてきた粒子と、海洋表層に棲んでいたプランクトンの死骸と、海底に棲んでいたベントスの死骸と、それから堆積物の中で生成した物質との混合物である。これはつまり、陸から運ばれてきた粒子の性質とその運搬量を調べることで陸上気候が、プランクトン遺骸の群集や個体の組成を調べることで海洋表層環境が、ベントス遺骸の群集や個体の組成あるいは海底下で生成した物質の性質を調べることで海底の環境が復元できる可能性があるということである。陸に降る雨は海洋から蒸発した水蒸気が源であるから、陸のことだけが分かっても気候システム全体の挙動の理解には足りないのである。
堆積物に含まれる端成分のうち、私の研究は陸源砕屑物を用いることから始めた。特に陸源砕屑物の粒度・鉱物・元素組成を測定することによって、その鉱物粒子がどこからどのように運ばれてきたのかを復元しようとしてきた。陸源砕屑物は要するに陸上の土壌を起源とする鉱物粒子であり、陸から比較的近い海底の泥の主成分である。海底の泥の積もる速さを堆積速度というが、陸から近い海域では大抵堆積速度は陸源砕屑物の供給速度で決まる。もしも降水量が増えて河川流出量が増えたら、河川から運ばれる陸源砕屑物の供給速度は高まり、堆積速度も速くなるだろう。陸から遠く離れた海底の堆積物はプランクトン遺骸ばかりからなるものがあるが、それでも少しくらいは陸源砕屑物は含まれているものである(陸源砕屑物の専門家になると、大抵の試料で研究ができるので喰いっぱぐれがない)。陸から離れたところでは河川から供給されるものよりも黄砂のように風で運ばれてくる粒子の割合が増えるので、黄砂の供給地となった場所の気候が推定できるかもしれない。黄砂供給地の東アジア内陸部の降水量が増えると、運ばれてくる黄砂の供給速度は減少するだろう。
海洋環境の情報もどうしても必要である。ここでは地球表層の水収支に注目したいので、堆積物に含まれるプランクトン遺骸を用いている。特に浮遊性有孔虫は炭酸カルシウム(CaCO3)の殻を海洋表層水から作り出す。そのため殼に含まれる酸素(O)の同位体比は、そのときの海水(H2O)の酸素同位体比と温度を反映する。海水の酸素同位体比はその海域の降水量と蒸発量のバランスで決まるが、降水の酸素同位体比は海水のそれより小さく、また蒸発する水蒸気の酸素同位体比も元の海水のそれよりも小さい。つまり降水量が多いほど海水の酸素同位体比は小さくなり、蒸発量が多いほど(後に残される)海水の酸素同位体比は大きくなる。この海水から浮遊性有孔虫が炭酸カルシウムの殼を作るときには、海水温が高いほど元の海水よりも酸素同位体比の小さい殼を作る。こうして浮遊性有孔虫殻の酸素同位体比を測定することによって、海洋表層水の酸素同位体比(降水と蒸発のバランス)かつ/または水温が復元できることになる。両方の効果を分けて考えるためには、炭酸カルシウム殻ができるときに僅かに取り込まれるマグネシウム(Mg)の量が、水温が大きいほど多くなるという性質を利用して、同じ殼のMg/Ca比を測定することで、殼ができたときの水温の違いによる酸素同位体比の変化を補正して、元の海水の酸素同位体比を求めてやる必要がある。
以上のような大雑把な期待をもって私は個々の研究を行っている。当然一度に全てのことが分かるわけもなく、個々の分析法や結果の解釈をできるだけ精密かつ妥当にするための基礎研究がほとんどである。基本的なアプローチとしては、現在起こっているプロセスの定量的研究とその過去への応用、ということになる。プロセス研究においては、過去への応用(=堆積物の分析)が可能な項目を分析することを特徴としている。堆積物の分析においては、堆積物の記載的特徴(見た目・物性)から始めて、機器分析による精密かつ定量的な解析をまんべんなく行うことを心がけている。